宮城県で産湯を使い、姓は田野、名はうづわ、人呼んで「占い師うづわ」と発します。お世話になっております。
占い師を本業にするまでの道のりを記すべく筆を取りましたが、書けば書くほど「再現性なくない?」という想いが高まり、この記事の存在意義を見つめ直しています。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
始まりはセラピストの裏方
雪がはらはらと降るある日のこと。私が所属しているバンドのボーカル(M氏・仮名)がこう言ってきました。
あと、写真はイメージです
聞けばカラーセラピーの資格を取得したそうで、副業セラピストとして活動を始めるのだそう。天然石アクセサリーなども販売するのだそう。
作ってあげたいのはやまやまですが、残念ながら私にはそのスキルがありません。きっと阿部寛さんのホームページみたいになるでしょう。
数十秒の会話でやることが一気に増えました。むちゃくちゃだよもう。「ノーと言う返事は聞きたくない」という意志が強すぎるよ。
こうして私は泣きながらホームページを作ったり、名刺を作ったり、経理をしたり、重いものを持ったりする係を担当することになったのです。
改めて思い返してみても意味がわかりませんが、この会話が占い師になるための重要な一歩でした。
小学生のころからタロットカード(当時は悪魔くんタロット)は好きでしたが、俗に言うスピリチュアル系には一片の興味もない人間だったのに。
ほぼ指示待ち人間として裏方任務をこなし、気づけば一年の月日が流れ、忘れもしない東日本大震災が起こります。
東日本大震災で変わる人生
宮城県の海べりの町に住んでいた私は、否が応にも東日本大震災に運命を翻弄されることになります。太平洋プレートのやろう……。
地震発生時は家の庭におりました。家族の話によると「地面がトランポリンだ!」と繰り返していたそうです。自分の語彙力のなさに愕然としております。
幸いにも我が家は無事でしたが、勤めていた会社が津波で流されてしまいまして。再開のめどが立たない事態となってしまいまして。
休んでいる間はもちろん有給なんぞ使えません。無収入です。あと、超ヒマです。わかりやすく言いますとニートです。
ならば私の使命は支援物資を集め、それらを避難所へと運ぶことではないでしょうか。活動費は助成金でまかなうことにしましょう。ニートですから。
それからは、M氏を含めた数名の仲間たちとひたすら頑張る日々。どうぞ褒めてください。どうぞ私の好感度を上げてください。
その活動で痛感したのが、セラピーやヒーリングの必要性だったのです。
占い王に?おれはなる?
避難所や仮設住宅を巡るうち、簡単に消え去る「物質的な豊かさ」よりも「心の癒し」の方が大切なのではないか?という想いが強くなっていきます。
言葉にすると薄っぺらいですが、当時の被災地は「泣かないために笑う」人たちで溢れていたのです。ブルースの歌詞みたいな状況であります。
では、セラピーもヒーリングもできない私が提供できるものはなにか?自問自答を繰り返していたある日、M氏がこう言ってきました。
デジャヴかな?
こうして私は趣味という枠を超えて、タロット占いで社会に貢献する係になったのです。東日本大震災に翻弄されたひとりの占い師の誕生です。
一日で挫折、そして副業へ
勇気を出して初めてのタロット占い in 避難所。
タロットは小学生の頃からやっているし!一年以上もセラピーの現場を隣で見てきたし!私にもできるはずだ!エンジョイ!
──という淡い期待は、初めて知り合い以外に行った鑑定で打ち砕かれることになります。
もうね、なにもできない。なにもできない!
占い自体はできるのです。だけれど、避難所生活の人たちの光明に繋がる鑑定ができない。本当に情けなかったよ……。
趣味レベルの知識ではまったく通用しないし、占いには「占術のスキル」と同じくらい「占い師としてのスキル」も必要になるのですね……。
「見ろ!汗が滝のようだ!」とは私の鑑定を見ていた仲間の言葉です。いや、助けろよ。
一日で心が折れた私は、すぐさま下積み期間に突入する決意をします。期限は三年。その間は占い師としての強固な下地を作ることに専念です。
なぜ三年なのか?
抜け目のない私は、就職に困らない「介護福祉士」の資格を取得することにしまして、その期間が三年なのであります。あと、簿記の資格も取っちゃいます。
セーフティネットがあるからこそ人は大胆なチャレンジができるのです。ウフフ。
知識と経験、そして本業へ
占星術や数秘術の知識から傾聴・受容・共感といったコミュニケーションスキルまで──タロット占いに必要なことをひたすらに勉強しました。
「好きなことで生きたいならブログを書きまくれ!」「友達申請を送りまくれ!」という主流には乗らず、その時間をスキルアップだけに費やしたのです。
ちなみに、当時の主流はこんな感じでした。
- アメブロの読者を千人ほど集める
- フェイスブックの友達を二千人ほど集める
- どちらも一日に複数回は更新する
- 空き時間に「いいね」や「ペタ」をつける
今は「ツイッターで一日三十回ツイート」が流行中だそうです。やってみるとわかりますが、これをこなしていくと勉強をする時間がとれません。
お前がやりたいのは「占い師を本業にする」ことか?違うだろう?「あの日の避難所で通用するスキルを身につける」ことだろう?
自己啓発ポエムでドヤってるヒマなどないだろう!
※自己啓発ポエムを読むのは大好きです、念のため
そう自分に言い聞かせて。でも、介護職との両立はしんどくて。何度も「まずは独立じゃない?」という気持ちが芽生えて。それをガン無視して。
愚直に頑張りました。チワワの写真とかを見て頑張りました。
勉強と並行して実占経験も積み重ねて、実力に比例して占いのお仕事が増えてきて、占い業だけで食べていけるようになったのが2016年のことです。
私のお客さまは七割から八割がリピーターでして。もし中途半端な実力のまま大々的に活動していたら、こうはなっていないのだと思います。
ともあれ、コツコツとした下積み期間があったからこそ、地道にスキルを磨いたからこそ、私は占い師として(今のところ)活動できているのでしょう。
今の自分のスキルがあれば、あの日あの避難所で「心の癒し」を提供することができるはずです。災厄なんぞ二度と起こってほしくはないですが。
これからもずっと勉強は続けます(私の趣味は独学です)。だけれど、ようやく山の一合目に到着したのかなと一息ついているところでもあります。
私が占い師になった方法まとめ
- 「本業になる」を目的にしない
- なれなかったとき用の保険をかける
- 愚直に知識と経験を積み重ねる
- セルフブランディングを優先しない
- チワワの写真で癒される